The Rape of Nanking

Iris Chang "The Rape of Nanking"をめぐって

近葉　愛子

1アメリカでの論調
 1-1絶賛派
 1-2批判派
 1-3斎藤大使発言問題
 1-4アメリカでのブームの理由
 1-5運動の旗印に
 2 日本での論調
2-1「一定の評価」派
 2-2批判派
 2-3「中国の陰謀」派
 3 最後にひとこと
別表：論争史年表

０はじめに

　「南京大虐殺」はこれまで、当事者である日本と中国以外の国ではほとんど知られていなかった。そんな状況をいっぺんに変えてしまったのが、1997年11月、アメリカで出版された" The Rape of Nanking ― the Forgotten Holocaust of World WarⅡ"である。著者は、中国系アメリカ人のアイリス・チャン氏.。出版当時29歳の、元女性ジャーナリストだ。この著作は、アメリカで予想外のブームを引き起こした。97年末に出版されて以来、すでに12万部以上が売れ、5ヶ月間にわたってニューヨーク・タイムズ紙のベストセラーリストに名を連ねた。中国やヨーロッパの国々で出版されることが決まったほか、ハリウッドでは、映画化の交渉も進められているという。アメリカでは、ほとんどの新聞で書評家が絶賛し、日本の戦争責任追及のためにロビー活動を続けている中国系アメリカ人団体の間では、バイブルのように扱われているようだ。一方日本でも、アメリカでの熱気をうけるかたちで、日本語に翻訳されてもいないうちから次々と、論壇紙や産経新聞に数多くの批判が紹介されてきた。早いものでは、『諸君！』4月号の秦郁彦、同5月号の塩谷紘。少し遅れて『正論』『中央公論』『文芸春秋』『NEWSWEEK』『論座』などでも取り上げられた。これは、きわめて異例のことである。「新しい教科書をつくる会」第4回シンポジウムでは、藤岡信勝の報告「『レイプ・オブ・南京』のインチキ写真」など、同書が大々的に取り上げられ、批判された。このレポートでは、アメリカと日本それぞれでの議論の盛り上がりを概観したい。　

1) Iris Chang,The Rape of Nanking --- The Forgotton holocaust of WWⅡ , Basic Books, p.290, $24.95
2)「『南京虐殺本』が起こした波紋」NEWSWEEK(日本版)1998.9.16
3) チャールズ・バレス「アメリカを揺るがす『ザ・レイプ・オブ・南京』」『中央公論』1998年8月号。

1.アメリカでの論調

1-1絶賛派 in the US

　代表的なものとしては、1997年12月1日付NEWSWEEK書評、12月11日付Washington Post書評、 12月14日付New York Times書評（オービル・シェル）、1998年2月19日付 Washington Post（ジョージ・Ｆ・ウィル）などがあげられる。これらはどれも、日本では考えられないくらい長文の書評である。たとえばジョージ・Ｆ・ウィルの書評はこんな一文で始まる。「アメリカでは今、ずっと昔、はるか遠くで起こったある醜い出来事に関して、一つの美しい、正義の行為が展開されつつある。」全体の傾向としては、南京虐殺についての衝撃的な記述をたっぷり引用している書評が多く見られた。かつて南京で日本軍がこんな蛮行をしていた、ということを知った驚きが前面に出されている。衝撃の事実を掘り起こしたチャンの偉業にたいする賛辞も目についた。

1-2 批判派 in the US

　手放しの賞賛の辞があふれるアメリカで、数としては多くないが批判的な意見もちらほら見られる。論者は日本研究者などに多いようだ。被害者の数などの細かい点はさておいて、アメリカでの批判が集中しているのポイントは二つある。一つは、南京での虐殺を「ホロコースト」と表現することの是非。もう一つは、「日本は戦時中の南京略奪を覆い隠そうとすることによって『第二のレイプ』を犯している」というチャンの主張が妥当かどうかをめぐる論議である。
　以下で、チャンの記述と、それに対してどういう批判がなされているかを、具体的に見てみよう。

	チャンの著書では…	それに対する批判は…
1	日本人は事件を意図的に隠そうとしていると主張。その証拠として、日本の教科書が事件にはほとんど触れていないこと、日本の政治家から虐殺を否定する発言が相次いだことなどをあげている。	「謝罪は、戦後の日本は中国に対してすでに繰り返し行っており、最近では2人の首相が相次いで北京を訪問して陳謝しています。また、日本の歴史教育は、最近の日本の歴史教科書には南京事件が相当具体的に述べられるようになっています」（『アトランティック・マンスリー』書評、デイビッド・ケネディ）「南京事件は今日の日本の教科書の中で無視されてはいませんし、日本の法廷は最近、歴史教科書の内容について、官僚の解釈に反する判決を下しています。さらに言うなら、多くの日本人が中国に強い関心と親愛の情を抱いているのです」（『ワシントン・ポスト』リチャード・Ｂ・フィン）
2	チャンは南京事件に「ホロコースト」という言葉を当てはめた。	「南京事件が蛮行であったことは否めませんが、2つの事件の被害者総数にこれほど大きな落差があるにもかかわらず、ホロコーストと同じレベルで論じることは果たして妥当でしょうか」（『ワシントン・ポスト』リチャード・Ｂ・フィン）「ホロコーストは政府主導のジェノサイドの代表例であり、ユダヤ人を最後の一人まで計画的に殺そうという計画的な試みだったから、チャンの比較は理解に苦しむ」（『ニュー・リパブリック』、ジェイコブ・ハイブラン）

チャンの著書では…　

それに対する批判は…

日本人は事件を意図的に隠そうとしていると主張。その証拠として、日本の教科書が事件にはほとんど触れていないこと、日本の政治家から虐殺を否定する発言が相次いだことなどをあげている。

「謝罪は、戦後の日本は中国に対してすでに繰り返し行っており、最近では2人の首相が相次いで北京を訪問して陳謝しています。また、日本の歴史教育は、最近の日本の歴史教科書には南京事件が相当具体的に述べられるようになっています」（『アトランティック・マンスリー』書評、デイビッド・ケネディ）

「南京事件は今日の日本の教科書の中で無視されてはいませんし、日本の法廷は最近、歴史教科書の内容について、官僚の解釈に反する判決を下しています。さらに言うなら、多くの日本人が中国に強い関心と親愛の情を抱いているのです」（『ワシントン・ポスト』リチャード・Ｂ・フィン）

チャンは南京事件に「ホロコースト」という言葉を当てはめた。

「南京事件が蛮行であったことは否めませんが、2つの事件の被害者総数にこれほど大きな落差があるにもかかわらず、ホロコーストと同じレベルで論じることは果たして妥当でしょうか」（『ワシントン・ポスト』リチャード・Ｂ・フィン）

「ホロコーストは政府主導のジェノサイドの代表例であり、ユダヤ人を最後の一人まで計画的に殺そうという計画的な試みだったから、チャンの比較は理解に苦しむ」（『ニュー・リパブリック』、ジェイコブ・ハイブラン）

　細かく見ていくと、批判はこのほかにも多岐にわたっている。二つだけ例を挙げておこう。

戦後の東京裁判において、責任者である松井大将を含む7名の旧日本軍の将校が絞首刑となっているが、この点には触れていない。（3月5日付Washington Post投稿欄、リチャード・Ｂ・フィン）

　2.（同書には）虐殺がいったいなぜ起きたのか説明がない。

虐殺の命令が昭和天皇から出たとするがまったく根拠がない。
不確かな内容とされているデービッド・バーガミニ著『天皇の陰謀』に依存した記述は不正確。（The Atlantic Monthly、デービッド・ケネディ）

　ただし、南京事件が近代の蛮行の中でも特にひどいものだという点では、アメリカの批評家の意見はほぼ一致している。同書に批判的なコメントをした上記のような論評でさえ、戦争に関する日本の教科書の記述やこれまでの政府の対応は必ずしも充分ではない、という認識を同時に示していることが多い。チャンを批判しているからと言って、日本を格別に擁護しているわけではないのである。

1-3 斎藤大使発言問題

　アメリカでＴhe Rape of Nankingに対する評価で出そろったかと思われる頃、ひとつの事件が起きた。98年4月21日、駐米大使斎藤邦彦は記者会見で、「非常に不正確な記述や一方的な見解が多く、事実誤認や曲解もある。ああいう本が出され、ある程度注目を集めていることは幸せではない」として不快感を表明した。(これは日本の新聞でも報道された。)この発言は各所から一斉に攻撃された。在米中国大使館は「著者は現地で多くの証人、資料に当たっており、確実な事実からの日本軍の残虐行為を暴いている」と厳しく反論した。著者アイリス・チャンも憤慨して大使に論戦を挑み、それが引き金になって『タイム』紙は｢喧嘩騒ぎを起こした南京虐殺の本｣という見出しで激化する論争について報道した。

1-4アメリカでのブームの理由

　ネット上を探ってみると、アメリカでの同書に対する反響の大きさに驚くばかりである。この本がアメリカでうけたわけは、分からないでもない。読者の感情に訴える要件を見事に備えているのだ。
・目新しさ（南京虐殺はアメリカではほとんど知られていなかった）
・日本兵による残虐行為の生々しい記述
・ショッキングな写真の数々
・わかりやすいストーリー性
・タイトル (特に副題)のつけ方のうまさ。「忘れられたホロコースト」。
・目をひく表紙（鉄かぶとをかぶった日本軍兵士のモノクロ写真×日章旗）

1-5中国系アメリカ人の運動の旗印に

　1998年5月初旬、中国系アメリカ人女性協会は、チャンを「ナショナル・ウーマン・オブ・イヤー」に選出した。チャンは、著者として本を書いただけにとどまらず、今や運動の旗印ともなっている感がある。5月末までですでに50以上の都市を回るなどして、現在も講演会を精力的にこなしているようである。彼女はインタビューで、講演会での聴衆の熱気をこのように語っている。「…入り口からあふれるほど人が集まるんです。私の肩によりかかって泣き出す人もいるし、ようやくこんな本を書いてもらえて本当によかった、おかげで中国系アメリカ人であることに誇りがもてる、と言ってくれる人もあります。誰もが、この本が出るのを60年も待っていたんです」。ジャンヌ･ダルクほどではないにしろ、運動団体は、彼女を長い間待望していたヒロインにまつりあげてしまった。彼女の本質は作家なのか、それとも政治運動家なのか。「多くの人が私を単なる著者ではなしに、盛り上がりつつある運動のリーダーだと見ているんです」と、チャンは言う。　

２日本での論調

2-1「一定の評価」派 in Japan

日本では、ほとんどの論者がチャンの著作に批判的である。しかし、出版されたこと自体の意義を評価する声も一部にある。

① 「事件を世界に知らしめたという点で、この本には十分に価値がある」（藤原彰）
若い中国系アメリカ人のジャーナリストがこの本を書き上げたことには、それなりの意味がある、という指摘もある（井上久士）。「知らなかった事件への驚きがこの本には率直に表れている」「事件を英語圏の人々に衝撃をもって知らせ、後世に伝えたという意義は評価しなくてはいけない。そのなかで著者が自らのアイデンティティーを再確認していったという気はする」

2-2批判派 in Japan

日本ではどのような点が批判されているのかを整理してみよう。チャン氏の主張の中心部分については、「事実の把握に間違いが多すぎる。まるで話にならない」とばっさり切り捨てているものが多かった。そこで、The Rape of Nankingの記述のうち、事実誤認を指摘された箇所を一覧表にしておく。

誤りを指摘されている箇所・一覧

	『ザ・レイプ・オブ・南京』の記述は…	それに対する指摘は…	出典
１	1938年に傍受した外務大臣広田弘毅の電報を、チャンは日本軍部隊が「フン族のアッティラ王を思わせるようなやり方で30万人以上の中国市民を殺戮した」動かしがたい証拠として取り上げている。	ダキン・ヤンの論文によると、広田は実際には『マンチェスター・ガーディアン』の記者ティンバリーの書いた電報ニュースを中継したにすぎない。	「アメリカを揺るがす『ザ・レイプ・オブ・南京』」、チャールズ・バレス
２	日本は「非戦闘員を恐怖に陥れる手段として、タブーを破って初めて空軍力を使った国として悪名高い」と書かれている	歴史学者バーバラ・タックマンの『八月の銃』によると、空軍を最初に使ったのは第一次世界大戦中のドイツである。	「アメリカを揺るがす『ザ・レイプ・オブ・南京』」、チャールズ・バレス
３	40ページタイサ・イサモ（Taisa Isamo）	長勇（ちょういさむ）中佐	『諸君！』4月号「『南京虐殺』“証拠写真”を鑑定する」、秦郁彦
４	33ページ 1937年8月、上海で中国砲兵隊は良子(ながこ)皇后のイトコを含む数百人を殺した	該当の事実なし	『諸君！』4月号「『南京虐殺』“証拠写真”を鑑定する」、秦郁彦
５	37ページ裕仁天皇の前秘密警察（Secret Police）長官中島中将	中島は前憲兵司令官	『諸君！』4月号「『南京虐殺』“証拠写真”を鑑定する」、秦郁彦
６	50ページ谷寿夫中将が自ら南京で20人の女性をレイプした	起訴状・判決に言及なし	『諸君！』4月号「『南京虐殺』“証拠写真”を鑑定する」、秦郁彦
７	59ページ永富ドクターの告白と、診察室で患者に何斤のビデオを見せていることを紹介	永富博造は当時国士館の学生、現在は鍼灸師	『諸君！』4月号「『南京虐殺』“証拠写真”を鑑定する」、秦郁彦
８	205ページ受験戦争下の現代日本では子供達は午後9字から午前6字まで勉強させられる	意味不明	『諸君！』4月号「『南京虐殺』“証拠写真”を鑑定する」、秦郁彦
９	4、6、102ページ民間人の被虐殺者数は26～35万、レイプの被害者は2～8万	102ページには26万の積算式まで載せているが、東京裁判の記録から重複を物ともせず目に付いたものを足してみたという代物。 35万の根拠は「ある専門家によれば」とあるだけで、注記を見ても誰なのか触れていない。 2～8万というレイプの統計も同じような腰だめ計算。	『諸君！』4月号「『南京虐殺』“証拠写真”を鑑定する」、秦郁彦
10	26～36万人が虐殺されたと主張	南京の人口は国際委員会委員長ラーベが記したように、陥落時20万人であった。虐殺があったならば、人口が減少するはずだが、翌年1月には25万人に膨張する。チャン氏の主張は数字からしてもおかしい。	『産経新聞』1998年4月8日東中野修道
11	日本軍は捕虜の目玉を抉り出し、耳と鼻を切り取り、生き埋めにして戦車でひき殺し、虐殺した。また、女性を強姦して、被害は2万件に及んだ、と主張。	南京城内は城内の一角の安全地帯がすし詰めで、それ以外は無人であった。南京で犯罪が起きたとすれば人のいた安全地帯で起きたことになる。そこで中華民国の国際問題委員会の作成した公式記録「南京安全地帯の記録」を開いてみると、殺人は真偽取り混ぜても25件（被害者51人）で、しかも目撃は2件（すべて合法）であった。強姦は未遂を含めても7件であった。	『産経新聞』1998年4月8日東中野修道
12	グラビア掲載写真44枚のうち、13枚の残虐写真	13枚のほとんどが偽造または出所不明(ただし借用先は示されている)。『諸君！』4月号では、そのうち3枚について詳しく検討している。	『諸君！』4月号「『南京虐殺』“証拠写真”を鑑定する」、秦郁彦
	日本兵に付き添われた中国人の女性や子供が、橋を渡っている様子を撮影した写真もそのひとつ。同書では、「日本軍は何千もの女性を駆り立てた。大半はレイプされるか慰安婦にされた」というキャプションが添えられている。	この写真は実際には南京事件の2ヶ月前に上海で撮影されたものである。農作業の後、日本兵に守られながら帰宅する村人を撮ったものである。	『諸君！』4月号「『南京虐殺』“証拠写真”を鑑定する」、秦郁彦
13	「12月12日、日本海軍は南京近くの揚子江に浮かぶ米砲艦パネイ号を撃沈した。同号は、西洋諸国の外交官、ジャーナリスト、実業家、避難民でいっぱいだった。(国立公文書館)」とキャプションのつけられている写真このほか3枚の写真	この写真に写っている軍艦はパネイ号ではなく、国民党(蒋介石)が保有していた中国海軍の2隻の軽巡洋艦のうちの1隻「寧海」である。	松尾一郎「アイリス･チャン、チャンと調べてね！」 http://www.geocities.com/TheTropics/Paradise/8783/chang.htm
14	戦車が火炎放射器で民家を焼いている写真。「虐殺の間、南京の3分の1が放火で破壊された」というキャプションがついている。	この戦車は調べてみると「97式軽装甲車」と判明した。97式軽装甲車は昭和12年（皇紀2597年）に形式が制定されたが、生産開始は早くて翌年以降であった。従って、昭和12年、南京に97式軽装甲車があるはずもなく、しかも97式軽装甲車には火炎放射器は装備されていなかった。	『産経新聞』1998年4月8日東中野修道
15	「12日夕方の陥落」という記述	昭和12年12月13日の南京陥落が12日夕方の陥落と記されている	『産経新聞』1998年4月8日東中野修道

批判の矛先は、チャンの著作だけにとどまらない。たとえば、塩谷紘は『諸君！』4月号で、日本政府(特に外務省)の消極的な姿勢に疑問を投げかけている。（「外務省は『反日偽書』になぜ沈黙するのか～またぞろ「謝罪」「補償」だとさ―『ザ・レイプ・オブ・南京』の傲慢無礼～」）

2-3 ｢中国の陰謀」派 in Japan

　2-2で日本でのおもな批判を紹介したが、中にはもっと過激なものもある。たとえば、『文芸春秋』9月号に掲載された、浜田和幸の「『ザ・レイプ・オブ・南京』中国の陰謀を見た」だ。サブタイトルは、「アメリカを巻き込んだ中国のプロパガンダ工作に日本はなすすべもない。目を覚ませ、ニッポン！」。浜田は、「南京事件について幼い頃から関心を抱いてあちこちかぎまわってきた中国系アメリカ人のフリー・ジャーナリストに美味しい餌をぶらさげればどうなるかを十分承知しているような連中がしくんだことさ。悪魔のような日本軍の残虐行為を暴く、若くて美人の中国系アメリカ人となれば、アメリカのマスコミはこぞって取り上げる」と話す友人の言葉にヒントを得て、同書が出版された背景にある「中国の陰謀」を明らかにしている。
　正論』7月号からもひいておこう。（「アイリス・チャン『レイプ・オブ・南京』の恐るべき背景」、鍛冶俊樹）「これは決して歴史上の問題ではなく、現在の政治上の問題である。しかも外務省だけで対応しきれる事柄でもなく、国家レベルの対応が必要なのである。なぜなら、いま米国で進行している、この事態とは、二十世紀になって生まれた新しい戦争の形態、すなわち心理戦の典型だからだ。」
　「陰謀」説は他にもまだある。藤岡信勝は一つの「推測」として、この本が書かれた背景にはある種の「陰謀」が存在するのではないかと主張する。「日本人は野蛮で非人間的というイメージを広めることで、国際社会における日本の発言権を封じる。そんな思惑で一致したアメリカと中国が結託し、チャンを操って書かせたのではないか」。　

3 最後にひとこと

チャンの主張はたしかに感情論に陥っているところがあり、その言い分や事例の取り上げ方には明らかに偏向が見られる。しかし、それに対する日本からの批判はどうだっただろう。はたして感情的になっていなかったといえるだろうか。
　 The Rape of Nankingはアメリカと日本の両方で議論を巻き起こした。しかし、双方の議論がかみ合うことはついになかったのだという気がしてならない。自由主義史観論争が海を越えたときにどうなるかが知りたくて、私はThe Rape of Nankingをめぐる日米の論争に注目してみた。しかし、同書に対する日本での批判は、たとえ形の上ではアイリス・チャン批判であっても、本質は日本の世論のみを意識した内向きのパフォーマンスでしかなかったような気がする。全部が全部だとは言わないが、一方通行の議論が多かったのは残念だ。
　それにしても、日本の戦争責任をめぐるアメリカでの議論は静かに高まりつつあり、いまやチャンの著作への関心という領域を越えているように思える。これからどのような広がりを見せていくのか。大いに興味があるところだ。

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Iris Chang "The Rape of Nanking"をめぐって

近葉 愛子

CONTENTS

1.アメリカでの論調

誤りを指摘されている箇所・一覧

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