現代史基礎演習?レポート司馬史観批判山西俊和

司馬史観批判

山西俊和

藤岡信勝氏等の提唱する「自由主義史観」に対する批判が活発になるとともに、彼らが依拠するという「司馬史観」に対する批判もまた活発化しているようである。このレポートでは、自由主義史観の問題に関連する司馬の近現代史認識と、その批判すべき点について、中村政則著『近現代史をどうみるか司馬史観を問う』（岩波書店、１９９７）と遠藤芳信著『海を超える司馬遼太郎東アジア世界に生きる「在日日本人」』（フォーラム・Ａ、１９９８）および司馬自身の著書などを手掛かりに考えてみた。

司馬遼太郎における明治史と昭和史の相克の問題について（司馬の統帥権論、明治憲法論に絡んで）

中村政則氏は、『近現代史をどう見るか』のなかで、司馬史観の最大の問題点は、それが「明るい明治」と「暗い昭和」という単純かつ文学的な対比による二項対立史観であり、明治の明るさを明治憲法に、昭和の暗さを統帥権に集約するという単純化を行っている点であると述べている。そして中村はこれに対し、統帥権を支える制度、イデオロギーは明治期に造られていたのであるから、明治と昭和の間に大きな断絶を置くのは誤りであると批判する。これが中村の司馬史観批判の最も重要なポイントであるといって良い。司馬の明治憲法論は、中村も引用しているが、次のようなものである。

「明治憲法もまた他の近代憲法と同様、三権（立法・行政・司法）が明快に分立していた。」

「明治憲法は三権が分立している点で、堂々たる立派なものでした」

中村の言うように、司馬が明治憲法を近代憲法として高く評価していたことは事実のようである。

しかし先の中村の論では、司馬が明治期の日本を全体的に明るいものとして見ていた、さらに言えば明治期の日本人は近代憲法たる明治憲法の下で明るく暮らしでいたものと見ていた、というように読者にとられかねなくはないだろうか。

司馬はたしかに明治憲法を近代憲法として評価しているが、だからといって彼が明治期の日本を全体として「明るいもの」と見ていたとは言えないだろう。

遠藤芳信氏は、『海を超える司馬遼太郎』のなかで、司馬遼太郎が明治（から昭和前期）の日本近代国家による国民支配の「重さ」「暗さ」を指摘してきたと述べている。

司馬の言う国民支配の「重さ」「暗さ」を構成するのは次のようなものである。

国家がモラルの源泉であったこと；戦前国家はモラルの「卸問屋」「元締」として重苦しく国民を締め付けていた
神秘性や呪術性を含有する近代国家の重さ；国家による神道の押し付け
近代国家の教育作用；国家によって規定された人民を作り出すこと。それに反抗する人間は放逐される運命にある

この他，司馬は北海道開拓における苛酷な囚人労働、徴兵制による重圧、軍隊内における野蛮かつ暴力的な支配・被支配関係などを指摘したり、また富国強兵策についても「１８６８年の明治革命以来、富国強兵という国家の絶対的な主題が、七十七年間、重すぎる気圧として国民一人一人の上にのしかかっていた」と述べている。さらに国家支配を離れた経済面に関しても、日本資本主義が八十年にわたる民衆の貧窮を土台にして成長したと言っている。

以上のような指摘からすれば、司馬は決して明治期の日本を全体的に「明るい」ものと考えていたわけではない。

次に、昭和と明治の間の「断絶」についてである。中村は前掲書において明治期に統帥権を支える制度とイデオロギーができていたことをみない司馬史観では、昭和になって突如暗転がおこったように見えるが、実は「明るい明治」の時代に昭和の破綻の芽は準備されていた、と司馬を批判している。

司馬は統帥権明治憲法に関連して、次のように述べている。

「明治憲法はいまの憲法と同様、明快に三権分立の憲法だったのに、昭和になってから変質した。統帥権が独立しはじめ、ついには三権の上に立ち、一種の万能性を帯びはじめた。統帥権の番人は参謀本部で、事実上彼らの参謀たち（天皇の幕僚）はそれを自分たちが「所有」していると信じていた。ついでながら憲法上、天皇に国政や統帥の執行責任はない。となれば、参謀本部の権能は無限に近くなり、どういう「愛国的」な対外行動でもやれることになる」

「（前略）この点（上の引用にあるような点）、明治憲法は、あぶなさを持った憲法でした。それでも明治いっぱいは、少しも危なげなかったのは、まだ明治国家を作った人々が生きていて、亀裂しそうなこの箇所を肉体と精神でふさいでいたからです。」

これからわかるように、司馬は明治憲法の危険性を認識していたのであり、三権分立を規定した近代憲法と一面では評価しながらも、統帥権を支える制度という欠陥ｶﾞ明治憲法の中にあったことを認識していたものと思われる。その上で司馬は、後に引用した文章から分るように、、変質したのは運用に携わる人間であると考えていたのではないか。

また、司馬史観では「昭和になって突如暗転が起こったように見える。」と中村は述べているが、一方遠藤は「異国」の世界たる昭和を生み出した遺伝子」を司馬が探ってきたことを紹介している。

それによれば、司馬のいう「昭和を生み出した遺伝子」とは

明治維新自体が持っていた尊皇攘夷の思想
陸軍軍閥を構成した長州軍閥（無計画さや粗暴ぶり、目的のために周囲が見えなくなる「恐るべき精神構造」がある。）
明治期の近代国家を支える権力機構として成立した太政官の徹底的な官尊民卑思想

である。これらが隔世遺伝のように昭和にまで継承・持続され、昭和の破綻を生み出したのであるという。

遠藤はこのような司馬の指摘について次のように述べている。

「司馬遼太郎が戦前「昭和」を「異国」としてとらえ、それになじめず、たえず違和感をもっていたのが、明治維新期から戦前「昭和」にまで継承・持続されてきた遺伝子としての尊皇攘夷の思想と反国民的な軍隊や官僚機構であったことは明確である。その意味では、司馬は、明治維新から戦前「昭和」までの歴史を、国家の根幹的部分を中心にして一貫した視点でもってとらえていたことになる。」

このような見方からすれば、中村のように司馬の近現代史認識のなかに「昭和の突如とした暗転」があるとするのは正しくない、と言えるだろう。どうも中村の方が、司馬の近現代史認識を単純化しすぎているのではないだろうか。

日露戦争論について

中村は、司馬の日露戦争観に対する批判は次のようなものである。すなわち、

司馬は、日露戦争は祖国防衛戦争であったというが、最近の研究により、当時のロシアには日本はおろか朝鮮を支配する意図も無かったことが明らかになっている。ロシア脅威論は国民の間に浸透していたかもしれないが、それには作られた脅威論の側面もあったのである。
日露戦争を題材にした司馬の『坂の上の雲』やロシアについての記述には、日露戦争と朝鮮支配の不可分の関係が捉えられていない。

一方遠藤の「祖国防衛戦争論」にに対する見解は次のようなものである。

司馬は日露戦争について「客観的にはどう評価されようとも、主観的には祖国防衛戦争だったのではないか。」と言っているように、一般的な、世界史的な視点からではなく、対露関係のみを基準にして、国民の気分・感情の側面から「祖国防衛戦争」とみたのである。よって司馬の「祖国防衛戦争」論を批判するには、この国民の気分・感情としての祖国防衛戦争論を批判しなければならない

司馬は、山県有朋が「朝鮮は日本の利益線」と発言したことに端を発して「利益線を守ることが防衛である」という虚構や幻想が防衛構想の中心に据えられ、これが日清・日露線あるいは満州事変を引き起こしたとしている。

中村の１については、遠藤も同じことを述べている。

中村の言うように、戦争を描く場合は攻められた側・侵略された側の視点に立つことを忘れるととかく独善的な戦争観が成立することになろう。また読者のなかにもそのような戦争観が構築されてしまう恐れがある。司馬の国民的作家としての影響力を考えると、この?の点は批判されてしかるべきだろう。

一方遠藤の見解からすれば、中村の「祖国防衛戦争論」批判は、やや「空を斬っている」ということになるだろう。

明治憲法下の天皇論について

　明治憲法下の天皇の地位についての司馬の見解は、それを英国国王式の「君臨すれども統治せず」に似た、何ら政治的権能を持たない「空」の存在であるとするものである。また天皇は国政においても統帥権行使においてもその行為の責任を問われることはないという天皇無答責論の立場をとっている。

　中村は、司馬の天皇無答責論に対しては、天皇が明治憲法において立憲君主と大元帥の二つの顔を持つ構造を見ていないと批判する。また、天皇は空の地位に徹していたという司馬の見解に対しては、「木戸幸一日記」や「本庄日記」などから明らかにされた昭和天皇の主体的な戦争指導・人事への介入の事実を挙げ、批判している。

　遠藤は、天皇無答責論に対しては言及していないが、天皇が政治の実権を持たない「空」の存在であったという司馬説に対しては、敗戦前後からの国体護持・天皇統治権存続のための画策は、天皇のもつ権力（性）が軍部・軍隊以上に強力であったことを彼らが認識し、軍隊を切り捨ててでもそれを温存しようとしたために起こったものだとし、司馬説を、「リアリティに欠ける」と批判している。

　中村・遠藤ともに司馬天皇論に対する批判は、天皇の政治的地位を司馬が過小評価している所に対してである。

確かに、司馬の言うようであれば、戦前天皇の地位は現憲法下のそれとかわらなくなり、「天皇大権」「天皇主権」といった概念も無意味化してしまいそうに思われる。

以上、司馬の近現代史認識と司馬史観批判についていくつかのテーマに絞ってみてきた。

このレポートを書く以前あるいはこれポートの中でも、私は「司馬史観」という言葉を無造作に使っているが、遠藤は、この言葉は自由主義史観派による造語であるという色合いが濃いという見解を持っているようである。

遠藤は、司馬の次のような言葉を引用し、彼が史観に固執していなかったことを指摘する。

「史観は、歴史を掘り返す土木機械だと思っていますが、それ以上のものとは思っていません。土木機械は磨きに磨かねばなりませんが、その奴隷になることはつまらない。歴史を見る時とき、ときにはその便利な土木機械を停止させて、手堀りで、掘りかえさなければならないことがあります」

このような司馬の「史観」に対する考え方からすれば、「司馬史観」などという言葉を使われるのは、司馬にとって不本意であろう。

司馬史観批判

山西俊和

|GO TO MENU|GO TO TOP|

|GO TO MENU|GO TO TOP|　